ドラクエ7は賛美両論ある作品です。
石板集めが難航すると途端にストーリーを進められなくなるというのが大きいでしょう。
ストーリーが暗いというのもあるかもしれません。
他には、ドラクエ7の冒険の仕方があると思っています。
ドラクエ7は石板を使って過去に遡り、その地が滅んでしまった元凶を取り除いて現代に復活させてあげる、というのが概ねの流れです。
現代に復活した地は基本構造は過去と同じですが、当然そこにいる人々もあるものもイベントも変わってきます。
そのため、過去にめぐった場所を現代でももう一度探索しなくてはならないのです。ツボやタルをもう一度割らなければいけません、宝箱をもう一度開けなければいけません。モンスターのいるダンジョンにもう一度潜らなければいけません。めんどくさがってそれを怠ると、それこそ石板を取り逃すかもしれないのです。
探索の労力は単純に言えば二倍。
悪く言えば二度手間です。そこで起きるイベントは過去とは違うものですが、ダンジョンの構造も同じなのでなかなかめんどくさいなと思います。
そんなまどろっこしさがドラクエ7の評価を低くしているのではないかと思うのです。
が、私はこのめんどくさいドラクエ7の冒険が好きです。
これこそが冒険ではないかと思うのです。
自分たちの手で復活させた島が、今はどうなっているのかを見るのは間違いなくワクワクします。見知った町のはずなのに、少しでも変化があるとそこに至るまでに何があったのだろうと想像してしまいます。この人はもしかして、あのキャラの子孫かな?あのここにあったものが、現代だとこうなるんだな、と。
同じ構造のダンジョンであったとしても、どれだけ長い年月を経ても変わらないものがあるのだと思わせてくれるので好きです。ついさっき自分はこのダンジョンを探索した、でもそれは実は何百年も前のことなのだ、と思いながら探索していくと、自分たちがしている冒険とは本当に長い年月をかけて行われているのだなと実感します。
冒険とは隅々まで見て歩いてこそ。好奇心にかられて行動をしている主人公たちならなおさらです。彼らの旅の始まりは、好奇心です。
それならば、復活した大地がどうなったのか、彼らは隅々まで見たいと思うでしょう。当事者なんですから。
自分が行ったことが未来にどう影響を与えたのか、誰だって確認せずにはいられないはずです。
たとえ同じ構造のダンジョンだとしても、今はどうなってるのかな?と気になるのは当然のことです。昔のままなのかな、それとも変わっているのかな、と。
だからこそのあの二度手間だと思います。ドラクエ7の冒険をよく表していると思います。
町の人とまた会話しなければいけないのも好きです。町の人との会話なんて一部を除いて大して重要ではないのですが、その話をいちいち聞くことで、
過去ではこの町の人達はこんなことで苦しんでいたのに、現代の人たちはそんなことを知らずに幸せに生きているんだな
とよくわかるからです。それがわかるからこそ、主人公たちがしてきたことに意味が出てきます。
過去との対比をすることで、今彼らがどれだけ平和で幸せな生活をしているかがわかります。主人公たちは、自分たちがこの人たちの笑顔を守ったんだ、と実感できるのです。過去とは何の関係もない話を聞いて、これが平和なのだと実感するのです。
そうやって丁寧に探索をしていけばいくほど、オルゴ・デミーラが復活したときの人々の絶望もより深く身にしみます。
復活させた大地の、平和を謳歌する町・人々と丁寧に交流したからこそ、オルゴ・デミーラの所業によりどれだけ絶望したかがわかります。
そして、主人公たちは絶対にオルゴ・デミーラをこの手で倒さなければならないと決意できるのです。
だから、どれだけ手間がかかってめんどくさかったとしても、過去も現代も蔑ろにせず常に全力で探索をしていきたいです。
ドラクエ7は、同じところを最低でも二回も探索させられて、確かにとてもめんどくさいです。この二度手間が好きです。これがあるから、世界中を「冒険」しているのだと実感します。
(文・やなぎアキ)
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