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【ドラクエ7】エンディング後の生活が平凡であることこそが、世界を平和と取り戻したと実感させる。

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世界を救った英雄ともなれば、世界に平和を取り戻した後に受ける待遇、人々からの目、元々の知り合いからの評価などが変わってしまっても仕方がないだろう。旅の途中で状況が変わって、元の暮らしができないということもあり得る。

もちろん、王になるなどいい変化がある場合は構わないが、そうでない場合もある。

 

 

ドラクエ4や6は、どうしても元の生活に戻ることはできない。3のようにどうなってしまったのかわからないものもいれば、9のように生物として変わってしまったものもいる。

そういった作品は、エンディングを晴れて迎えても、ちょっと寂しい気持ちになる。

 

しかし、中には世界を救った英雄といえども、その後は変わらない元の暮らしに戻る者のいる。

 

顕著なのがドラクエ7だろう。

 

小さな漁村の、漁師の息子として生まれた主人公。将来は父と同じ漁師になるのだろうと周囲も自分も思っている中、彼は大きな運命の渦に巻き込まれる。

世界を元の姿に戻すという大きな使命の元、様々な出会いと別れを経て少年は大きく成長する。

そして、最後は神すらもなし得なかった、完全なる世界の平和をもたらすことに成功する。まぎれもなく世界を救った英雄であり、彼が得た多くの経験、そして強さは一介の漁師の人生に収まるものではない。

 

過去と現在を行き来し、天の国にまで昇り、世界を救った英雄はその後どのような人生を歩むのか。伝説の海賊の血を引くとされ、精霊の加護をも受けた彼はやはり、特別な存在として語り継がれ、世界平和のシンボルになるのだろうか。

 

そうではない。

 

彼は冒険に出る前と同じ、小さな漁村の漁師になるつもりでいる。

過去と現在を行き来し、行く先々で強敵と死闘を繰り広げ、多くの人を救って来た英雄が行きつく先は、代わり映えのしない漁師としての生活だ。

王様になるわけでもない、行方不明になるわけでもない、お姫様と結婚するわけでもない。ただただ、前と変わらず漁村で暮らし、漁師となるべく父に師事する。母の作ったアンチョビサンドを食べる。

 

生活に劇的な変化があるわけではない。

それでも、以前までの偽りの平和の中ではなく、本来の世界の平和の中で漁師をやる意味はあるのだろう。

冒険に出た最初の頃は、見たことないものを見て、命をかけた戦いに身を投じて、新しい大陸を復活させる好奇心が勝っていたことだろう。

しかしいつしか、世界をあるべき姿に戻して諸悪の根源を倒すことが目的になっていた。魔王を倒して平和な世界を取り戻すことがやるべきことだと、仲間たちと共に戦った。

そしてその願いが達成されたとき、彼がその身を投じるべき場所は、やはり冒険に出る前までの生活だったのだろう。それを取り戻すための戦いだったのだから。

ワクワクする冒険も、ドキドキする戦いもない。

この以前と変わらぬ日常、そこに身を投じることで彼はその使命を果たせたことを実感できるのかもしれない。

世界を救った英雄である彼自身が、以前と変わらぬ毎日を送ることで、人々もまた日常に戻れるのだ。

ああ、本当に何もかもが元通りになったのだ、と。

 

ただ一つ変わったのは、唯一無二の親友がいないこと。

最後に見つけた友からの石板は、変わらぬ日常を送りながらも、確実に以前とは違う、真の平和を取り戻したのだと実感させる。友情と、いつまでも変わらない平和を約束させる石板だった。

 

 

立派な漁師になるべく第一歩をようやく踏み出したところで、物語は幕を閉じる。

 

英雄である彼にかかればできないことなど何もないように思える。船の操縦だってお手の物だろう。父ボルカノよりも、ずっと多くの海を渡ってきただろう。しかし、漁師としての彼は、父にはるか及ばない。漁師としての経験はなしに等しい。熟練度は0。ダーマ神殿に行っても決して就くことが出来ない職業、漁師。

いつしか人々は、彼こそが英雄であるということを忘れていくかもしれない。そして退屈な漁村で変わらない毎日を過ごしながら漁をする彼を見て、ああこれがかけがえのない平和なんだなと、私はしみじみ思いたい。

 

(文・やなぎアキ)

 

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