ドラクエ4は勇者とピサロの戦いであり、それはつまり人間と魔族の戦いである。
その背景には、種族の違いゆえの悲劇の恋があった。
魔族の青年ピサロが愛した女性、ロザリーはエルフだった。ルビーの涙を流す彼女は醜い人間に襲われ、命を落としてしまう。
ピサロとロザリー、種族の違うものの恋。
そしてロザリーと人間、種族が違うからこその弱さと醜さ。
そして人間と魔族、相いれないがゆえに、憎み、戦うことしかない運命にある。
ドラクエ4は、分かり合えないものたちの戦いの物語である。
しかし、その中で本作は人間と魔物の友情を描いているのだ。しかも一番最初である第一章で。
そう、ライアンとホイミンだ。
まだ世界観がはっきりとしない時点でホイミンは無邪気に仲間になる。だが、だからといってこの世界は人間も魔物に対して友好的な面があるのだなと安易に思ってはいけない。
ホイミンは古井戸を訪れる人間たちに、仲間にしてほしいと常々頼んでいたはずだ。現にバドランドの兵士はホイミンの頼みを断っている。害のなさそうなホイミスライムであっても、人間は忌避する。ホイミンを先頭にして町の住民に話しかけたときの反応を見ても、それは明らかだ。人間と魔物の間にある壁は、余りにも高く、頑丈であった。
ホイミンにとって、高い壁など飛び越えればいいのだが、人間はさらに強固な壁でそれを閉ざしてしまう。
だが、ライアンはそれを易々と壊して見せた。
「仲間にしてよ」というホイミンの軽い問いかけに、ライアンはただ「はい」と答える。それで彼らは仲間になる。
お互い戦うことしかできない相いれない存在だと思っていたのに、こんなにも簡単に、「はい」と答えるだけで友達になれるのだ。
プレイしていて、こんなにも簡単に魔物と友達になれる。人間と魔物も仲良くなれるんだなぁなんてほのぼのしてしまう。
何にも代えられぬ友情を育めるのだ、と気づきを与えてくれる。ドラクエ1~3まで、ごく一部の例外を除いて邪悪な魔物しかいないと思われていた世界で、魔物と仲良くする未来もあるのだと思わせてくれた。
魔物が歩み寄り、人間も歩み寄り、そうすれば種族の違いなど越えられると。
しかし、5章で一気に落としてくる。
問答無用で勇者の故郷を焼き払うデスピサロたち。やはり魔物は人間の敵なのか、と思ってしまう。許しがたい感情が沸き上がる。
そして旅の終盤、イムルの村で見る夢。ホイミンと出会った古井戸の近くのあの村で見る夢。
ピサロを助けたいと願ったエルフのロザリー、彼女が人間に殺され、怒りのあまりその人間たちに制裁を加えるデスピサロ。
ライアンはこれを見てどう思っていただろうか。ロザリーに対する人間の所業を愚かと思い、それでもピサロのしていることは許すべきではないと断じ、そして友のことを思い出したかもしれない。
いとも簡単に魔物と友情を築いた彼にとって、あの夢は理解しがたいことだったのではないか。
決して分かり合えないわけではないのに、誰かが超えてはいけない一線を越えてしまえばもう手を取り合うことはできない。
ホイミンとライアンにとっては何も難しいことではないのに、どうやらそれは難しいことらしい。
デスピサロは最後、愛する者のことも忘れ、ただ人間の憎しみのみを残して死んでいく。悲しみを背負っている点では彼も勇者も同じなのに、憎しみ合って終わっていく。それを目の当たりにして一番悲しかったのは、もしかしたらライアンだったかもしれない。
ドラクエ4のストーリーは、人間と魔物と友情を描くところから始まったというのに、人間の愚かさと魔物の脅威が描かれ、最終決戦までいってしまう。
勇者とピサロの戦いは、何かあと一つ違えばこの結末を避けられたのではと私は思う。それはライアンも同じだったかもしれない。
もう会えずとも互いに大切に思い合うライアンとホイミン。一説によるとライアンの旅は他の誰よりも長いものだったと言われている。勇者がまだ幼いころから始まっていたのではないかと(リメイク版には序章があるので何とも言えないが)。彼のそんな長い旅の始まりと終わり。それを思うと、自然と物悲しい気持ちになる。
それはつまり、私の旅路でもあるからだ。
ドラクエ4のストーリーは何回も何回も反芻しているというのに、いまだにこういった気づきがある。これだからドラクエはやめられない。
(文・やなぎアキ)
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