ドラクエ4は主人公、つまり勇者の性別を選べる。
性別が違うからといってステータスやストーリーが変わるわけではなく、せいぜい装備できるものが女性だと増えたり、ごく一部のキャラクターの台詞が話には影響のない範囲で変化するくらいだ。
つまりどちらを選んでもいい。プレイヤー自身の性別に合わせてもいいし、単純に好みでもいい。
特にドラクエ4は性別によって見た目が大きく変わるため、見た目の好みで選んだ人も多いだろう。
あなたはどちらの勇者を選んでドラクエ4をプレイしただろうか?
私はと言うと、男勇者を選んでプレイした。
何周かプレイしたが、毎回男勇者を選んでいた。
女勇者を選ぼうと思ったことも何度かあったが、どうしても男勇者を選んでしまう。
他ゲームで性別を選べるような場合、1周目は男性キャラにし2周目は女性キャラでプレイする場合が多いにも関わらず、ドラクエ4に関しては毎回必ず男勇者だ。
ステータスにもストーリーにもなんの影響もないのだから女勇者を選んでもいいはずなのに。なぜ男勇者を選んでしまうのか。
その理由はただ一つ。
シンシアの存在だった。
シンシアは勇者の幼なじみの女の子で、第5章の始まりと共にその短い生涯を終えてしまう。デスピサロから勇者を守る為、自ら身代わりになって。
勇者は、シンシアが残したはねぼうしを胸に、焼き払われた故郷から旅立つ。
この儚くも力強い幼なじみの存在が、私の勇者を常に男性にさせた。
シンシアは幼なじみであり、別に恋人であるわけではない。それでもどこか、ほのかに淡くお互いを意識していてもおかしくないはずだ。
もし勇者を女性にした場合、それでもシンシアは勇者をまるで妹のように大切に思い、また勇者もそんなシンシアを大切に思っていることだろう。大切な存在を亡くしてしまうことには変わりない。
ストーリーにやはりそれほどの違いはない。どちらにせよ大切な存在を失ってしまうことには変わりない。
だけれども、勇者が男性の方がドラマチックに感じる。
それは、ドラクエ4のストーリーの要にピサロとロザリーの悲恋があるからだろう。
勇者とその仲間たちの物語だけではなく、敵側のストーリーも描くことでドラクエ4というのは深みが増している。
ピサロはロザリーを人間にころされたことで、憎しみをさらに増加させて人間を滅ぼそうとする。愛する恋人をころされた憎しみのまま、進化の秘法により暴走する。
勇者も、シンシアという愛する恋人(恋人と呼ぶにはまだ早すぎたかもしれないが)をころされた際に、憎しみを抱かなかったと言えるだろうか。魔族を必ず滅ぼしてやると、憎悪の中旅に出たかもしれない。
ピサロと勇者は、ある意味では同じ境遇にいると言ってもいいのではないか。そしてそれは、勇者が男性であるからこそより際立つと思う。
愛には決まった形はないにせよ、妹として可愛がってくれる幼なじみと恋をする相手として意識される幼なじみでは、後者の方がわかりやすくなってしまうから。
ピサロが望み通り人間を滅ぼしたとしても恋人は帰ってこないように、勇者が望み通り平和を取り戻しても恋人になりえた人は帰ってこない。
エンディングで登場するシンシアが幻か否かに関わらず、少なくともピサロを倒したときはそう思ったはずだ。
そして、魔族であったピサロは恋人を失った悲しみを憎しみに変えて己を見失うことしかできなかったが、人間であった勇者はその後出会う多くの仲間のおかげで憎しみに囚われ続けることなく平和を目指せたのではないか。
人と魔族は、恋人を失う悲しさは同じでも、そこからどう生きていくかは違う。そういった対比もできる。
ドラクエ4は悲恋の物語としての側面もあり、それはピサロとロザリーだけではなく勇者とシンシアの悲恋でもあっていいはずだ。
少なくとも私はドラクエ4を、そういう風にプレイし続けていきたい。
そして今、世の中の流れがいいように変わってきている今だからこそ、私は初めて女勇者を選べるような気がする。
ピサロとロザリー、魔族とエルフが道ならぬ恋をしていたように、自分のことを妹としてしか思ってくれない幼なじみに淡く恋心を抱く、そんな勇者がいてもいい。そんな悲恋の物語も、勇者が男性であった時と同じように存在できるはず。
性別が変わっても、ストーリーに影響はない。それがドラクエであり、それが愛だからだ。
(文・やなぎアキ)
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