ドラゴンクエストの大事な要素は仲間である。ドラクエ1を除いてナンバリングのすべてで仲間と共に旅をすることができる(一部例外あり)。
仲間とはどんな存在だろうか。
SFC版ドラクエ5の公式ガイドブックには以下の記述がある。
いくらがんばっても、うまくいかないことってある。ひとりで悩んでも、悲しいだけ。そんなときは、仲間に相談しよう。悲しみは半分こ、喜びは倍になる。それが仲間のいいところだね。
初めてこの文を読んだときにとても感銘を受けた覚えがある。
「悲しみは半分、喜びは倍」というのは、ドイツの詩人フリードリヒ・フォン・シラーの言葉、らしい。調べるとイギリスのことわざという説もあるので定かではないが、いい言葉である。
そう、仲間とは共に旅をし共に戦ってくれる存在それだけではなく、感情を分かち合う存在なのだ。
旅をしているとき、誰かに感謝されたり、喜ばれたりすることもあるだろう。そんなとき、その喜びを分かち合うことができる誰かがいつもそばにいることは幸せなことだ。そして旅をするということは楽しいことばかりではない。辛いことや悲しいことがつきものだ。1人では抱えきれないこともあるだろう。しかし仲間がいれば、それを分け合って乗り越えることができる。
ドラクエ4で故郷を滅ぼされ家族もなにもかも失った勇者、父の仇に敗れ逃げてきたマーニャとミネア、城の皆が失踪してしまったアリーナたち……辛い思いを抱えながらも仲間がいたから楽しく旅ができたのだろう。
ドラクエ5でパパスと悲痛な別れも、ヘンリーというその後の主人公にとっての唯一無二の友がいたからこそ憎しみだけに囚われることなく乗り越えることができたのだろう。
ドラクエ8でラプソーンを倒した後、その喜びをレティスの上で仲間たちと喜び合った。もしもたった一人でラプソーンを倒していたら、あそこまで嬉しいという気持ちを味わうことはできなかったかもしれない。
長く共に旅をしてきた仲間だからこそ、どんなことでも共有したいものである。
ドラクエ11で大切な仲間と再び会うために時を遡った主人公、そこでまたベロニカに出会えたとしても喜びこそすれ、なにか少しのもの悲しさを覚える。自分と同じように再会したかったであろう仲間はそばにいないからだ。もしも全員で戻ることができたなら、喜びは倍どころの話ではなかっただろう。
登場人物だけではなく、プレイヤー自身の感情も左右するのだ。
ドラクエ1には仲間がいない。たった一人で旅をし、巨悪に立ち向かわなければいけない。
それもまた孤高の勇者としてありだが、仲間がいることを知ってしまった今は仲間の存在が恋しくなる。
ドラクエの主人公はプレイヤー自身である。だから仲間というのは主人公の仲間でもありプレイヤー自身の仲間でもある。プレイヤーと共に戦ってくれるだけではなく、たくさんの出来事を共有できる、それが仲間なんだ。
ドラクエ7から登場した仲間会話システムにより、仲間たちもそれぞれいろんなことを考えていることがわかった。それぞれの価値観で、それぞれの意見を教えてくれる。悲しくてしょうがないときに、一緒に悲しんでくれたり、前を向くよう励ましてくれたり。上手くいかなくて悩んでいるときには、一緒に悩んでくれたり解決の糸口を示してくれたり。そして嬉しいことがあれば、一緒に喜んでくれる。
悲しみは半分こして、喜びは倍にして。
たくさんたくさん思い出を作って。
それが仲間のいいところだね。
(文・やなぎアキ)
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