ナンバリング屈指の重暗いストーリーを繰り広げるドラクエ7。
しかしよく考えてみれば全てが全て重いわけでもない。どの町もひどい目には合っているが、全てが重い!暗い!ではない。
しかしドラクエ7は重くて暗いものだと思っている。
これはもうウッドパルナのせい。
しょっぱなの物語、ウッドパルナのせい。
初めて出会う魔物、未知の世界、少年たちはワクワクドキドキしていいはず。それはプレイヤーも同じ。1時間以上にも及ぶおつかい&遺跡の謎解き。それが終わり、ようやくドラクエ7の冒険が始まったぞ!とワクワクドキドキしていいはず。
が、蓋を開けてみれば、悲しみの音楽が流れる村。日の差さない世界。絶望に打ちひしがれる村人たち。
今までのドラクエでも、困っている人や集落を助けてきた。だが、それにしたって重すぎる辛すぎる。喜びがない。せっかく冒険が始まったというのに、世界にはあまりにも絶望があふれている。戸惑うばかりの仲間たちと、村を破壊し続ける村人たち。もう最悪である。
だが、それでも緑の宝玉を手に入れハンクのけがを治したときには希望が見えてくる。あとは悪の親玉を倒せばいいだけだと。そうすればこの村は救われる。光を取り戻すことが出来る。それでこそドラクエである。
マチルダという謎の女性について、ぶっちゃけ正体はなんとなくわかってきてはいるものの、とにかくこの村を救うことはできるだろうと。
そこに来てなんだ。あの親玉は。ゴーレムと戦いチョッキンガーと戦い勝利を収める主人公たち。これが冒険だ。こうしてパーティーは強くなるんだ、とたしかな手ごたえを感じつつあるタイミングでのあの親玉は。
そうだ、マチルダだ。
ドラクエ7がなぜ重いかというと、大体マチルダが原因だ。最初っからフルスロットルで、マチルダという女性をイベントの親玉に据えてきたエニックス、もとい堀井雄二氏。
攻めすぎている。
元は人間の女性であり、彼女は村人に裏切られた英雄を兄に持ち、村を憎めど人間だったころの優しさも捨てきれず、主人公たちと戦うことを拒む。
そんな彼女のことを、どうあがいても倒さなければいけないという悲しき事実。主人公たちもまた戦うことをたとえ拒んだとしても、結局は死んでしまう彼女。そもそも、初手は逃げることができるという発想がないと思われるので、辛いながらも彼女のことを攻撃し続けることになった人が多いはず。パパスVSジャミ・ゴンズの最悪さに匹敵するほどの最悪。無抵抗なものを喜んで殴ることができたのはやはりあの二人だったからこそ。普通はできない。
重い。
馬鹿か。
そんなものを、ついさっきまでエスタード島でキャッキャウフフしていただけの少年たちに背負わせるな。業を背負わせるな。
このウッドパルナイベント、この重さだけで完全にドラクエ7というものが決定づけられた。ずっとこのノリが続くのか、と思わせてしまった。
が、ウッドパルナの次のイベントはエンゴウだ。これは別に重いわけではない。皆が祭りに浮かれているところで火山が大噴火するのがエンゴウの未来だが、その大噴火を未然に防ぐので大変なことにはならないのだ。
でも先のウッドパルナの重さがとんでもないため、エンゴウごときではそのイメージは払しょくできない。
というか、エンゴウイベントを経て「な~んだウッドパルナみたいなイベントばかりじゃないのね」ともし思ったとしても次に控えているのがダイアラックなためやっぱり意味がない。「やっぱりウッドパルナみたいな鬱イベントばっかりじゃねーか!」とすら思うので、結局ウッドパルナの衝撃が強すぎる。
でも、あの最悪の重さがあるからこそドラクエ7は最高なのである。
ドラクエ7やったことないんだよね~という人に積極的に進めたい理由もそこにある。
とりあえず、ウッドパルナでうちひしがれてみないか。
(文・リモート侍)
関連記事