聖地ラムダには大きな像がある。
ドラクエ8の聖地ゴルドにある女神像にも似たそれは、遥か昔の賢者・セニカを象ったもの。
このセニカの像、両手を広げている。
なんでだ。
気になるな。
よし、考えてみよう。
仏像のあれ
仏像を見ると、手の形が仏様によって色々なのがわかるはず。
あの手の形は印、もしくは印相といい、それぞれ意味が異なる。
大体みんなが仏像の真似をするときは片手をあげて平を前に向け、もう片方の手は下向きにしこれまた平を前に向けると思う(偏見)。はい、全員やってみて。
これは釈迦如来に多い印。ざっくり意味を述べると下記の通り。
あげている方の手は施無畏印(せむいいん)。おそれることはない、ということ。
下げている方の手は与願印(よがんいん)。願い事を叶える、ということ。
あ!!
与願印だ!!
つまりセニカさまは、我々の願いを叶えてくれるんだ!!そういう像なんだあれは!
はい。
与願印は施無畏印とセットで用いられることが多く、また左手で行うのが普通のため、多分これは違う。
ブラジルにあるあれ
2016年のリオデジャネイロオリンピックの際、何度となくテレビに映し出された両手を名一杯広げている像。
ブラジルのリオデジャネイロにあるコルコバードの丘のキリスト像である。新・世界七不思議の一つとされている。ちなみに新・世界七不思議の最終候補には日本の清水寺も選ばれている、惜しい。
このキリスト像の最大の特徴は、なんといっても両手を広げたその姿。
なぜ両手を広げているのか?
広げた両手は、ブラジルの人々の心の温かさや、包容力を表しているとされている。包まれてあったかいと、そういうわけか。
あ!!
両手を広げて立っている!!
つまり、このセニカ像はラムダに住む人々の心の温かさと包容力を表しているんだ!!
はい。
悪くない理由。コルコバードのキリスト像ほど思い切り両手を広げていないのがやや引っかかるが。
相撲のあれ
ジェスチャーゲームのお題が相撲だった場合、ほぼ全員が踏むであろう四股。
の前に行う拍手をして両手を広げる所作。ジェスチャーゲームでこれを完璧にやりこなすやつは相当の手練れ。
あの所作は塵手水(ちりちょうず)という。
塵手水は手を清めるための水がないときに、草(もしくは空中の塵)で手を清めていたときの動きが由来である。
また、武器を持っていないことを示し、正々堂々と戦うことを誓う所作でもある。
あ!!
塵手水だ!
つまりセニカさまは、いつでも武器を持たず正々堂々と戦ってきたということなんだ!
はい。
塵手水は、神聖な所作なのでもっと腕を大きく横に伸ばさないといけないと思う。あといくらセニカが賢者と言えども戦うときは武器を持っていたはずなので「武器を持たず」は違う。
飲み会のあとでやるあれ
飲み会終わり、解散前に「では最後は一本締めで終わりますか!」とか「三本締めやりましょう!」と言われる。
そこから続く「お手を拝借」。からの「いよぉ~お」。そして拍手。
これは手締め(手打ち)と呼ばれるもの。
語源は「手打ちによって締める」。行事を取り仕切った人が、行事の無事終了をみなさんに感謝するために行う。
地域や呼び名によって、何度拍手するかが違うため、何らかの責任者になったときにはしっかりと勉強しておいた方がいい。
ちなみに拍手の音は「シャンシャン」らしい。どう考えても「パンパン」だが。
あ!!
お手を拝借している!!
つまりこのセニカ像は、かつての勇者一行が平和を取り戻したときの場面を象っているのだ。セニカさまが手締めをしたのだろう!
はい。
もし手締めを本当にしたのだとしたら勇者であるローシュがするべきなのはもちろんのこと、平和を取り戻したときには到底手締めする気分ではなかったはずなので違うだろう。
わっかりませーん
ここまで大真面目に考えて、大真面目に調べまくったりしたけど、結局のところ何が真実かはよくわからない。
はぁー、わからないなぁ。こういうわからないときは、アメリカンな両手を広げて肩をすくめるようなポーズを取ってしまいたいねぇ。
あ!!
わからないときのポーズだ!!
つまりセニカ像も、なんでこんなポーズをとっているのかわからないんだ!!
はい。
色々(ほぼ無駄な)考察できて楽しい時間だった。
(文・やなぎアキ)
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