ゲームがリメイクされると、その追加要素というのが一つの目玉になる。
オリジナルが至上という気持ちも十分にわかるが、やはり以前にはなかった新しい要素があることで、また新たな体験をできるのだから追加要素というのはある程度必要だろう。
ドラクエもしばしば本編のリメイクが行われているが、大きな追加要素として期待されるのはやはり、新規の仲間キャラクターの存在ではないだろうか。
ドラクエ3では仲間キャラが就く職業に盗賊が追加された。ドラクエ5では仲間モンスターが大幅に増えた。
もっと大きなところで言うと、ドラクエ4のピサロとドラクエ8のモリーとゲルダだ。
新しい仲間が加わることで戦術の幅も広がり、今までになかった楽しみ方ができる。そのキャラクターの知らなかった一面を見ることができる。
この作品のこのキャラが仲間になっていたら……と考えずにはいられない魅力的なキャラクターがドラクエにはたくさんいるのだ。
リメイク版ドラクエ7で仲間になってほしかった人は
フォズ大神官
やはりこの人だろう。そもそもダーマ神殿編ではフォズ大神官以外にも、カシムやザジなど魅力的なキャラクターがたくさんいたが、それでもやっぱりこの人だろう。
彼女とぜひ一緒に旅をしたいと思っていたプレイヤーは多いはずだ。
戦闘面においては言うまでもない。マリベルに負けずとも劣らぬ魔法のセンスをもって、モンスターを一掃してくれるに違いない。
リメイク版のドラクエ7は転職をするとその職業の格好に見た目が変わる。
ぜひフォズ大神官には羊飼いになってもらいたい。どとうのひつじ弱体化?そんなことは問題にならん、エンディングまで羊飼いでいくぞ。
会話システムでは落ち着いた口調で攻略のヒントとかくれそうだ。かと思えば世間知らずで天然なところも発揮しちゃったりして。
老楽師
違う、ジャンじゃない、老楽師だ。
老人枠にはもうメルビンがいるだろう、という声が聞こえてきそうだ。だが考えてもみろ、あの年で世界をまたにかけ、トゥーラ一本で危険をくぐり抜ける。相当な手練だ。
もちろん職業として吟遊詩人はマスターしているだろう。ユバールの民だったわけだから――ジャンじゃないったら!――踊り子も習得しているかもしれない。
スーパースターになるにはあとは笑わせ師をマスターするだけである。似合わないが頑張ってもらおう。
メルビンよりは会話はかたそうだが、時にはメルビンと一緒にムフフな話で盛り上がったりするに違いない。けしからん、最終決戦前にマリベルの部屋にふたりとも置いていってやる。
ちなみに名前は老楽師のままだと呼びづらいからプレイヤーが任意の名前をつけるんだろうな。みんなきっとジャンってつけるんだと思う。
サイード
過去の砂漠で一緒に戦ってくれたのはハディートだ。サイードは現代の砂漠の村の族長の4男だ。3バカ?いや絶対一緒に旅したくないでしょ、愚問愚問。
そもそもどこぞの王子が途中離脱してくれちゃったおかげで、パーティーに相応の年頃の男性が自分一人しかいない。それはドラクエ的にどうなのだ。
前作のドラクエ6ではあんなに同年代でワイワイしていたのに。
サイード自身も、族長とかそういうのいいから村を出て旅に出たい、という願望があるのだからついて来ればいいのだ。
あ、でもこういうやつは危ない。一緒に旅に出たはいいものの、自分の進むべき道を見つけたとか言って、また離脱されるパターンだ。どこぞの王子のパターンだ。
サイードは真面目でいいやつだが、その分会話にも特徴がなさそうだ。でも猫に話しかけるとすごく饒舌になったりするといい。猫好きらしいし、多分。
キーファ
仲間にならないことに意味がある
他にもドラクエ7にはぜひ仲間になってほしいのに、というキャラクターがたくさんいる。
一つ一つのシナリオが深い分、先々で出会う人々と別れるときというのは常に感慨深いものがあった。
この「出会いと別れ」がドラクエ7の一つの醍醐味だろう。ときには共に戦い、苦楽を分かち合った、その一瞬の仲間との絆を、その一つの冒険が終わっても大事にし続ける。冒険の数だけ絆があるのだ。
ずっと一緒に旅をしたかったという気持ちを切り替えて、一時でも一緒に旅ができてよかったと捉えるべきなのだろう。だからリメイクでも仲間キャラクターは増えなかったのでは、という結論に至った。
でもフォズ大神官と旅をしたかったなぁ。
(文:やなぎアキ)
関連記事