ドラクエはHPがゼロになると、戦闘不能ではなく死ぬ。ステータス「しに」である。
これをなんとかするには、生き返らせなければいけない。
が、この生き返らせの手段が序盤は一種類しかない。
生き返らせの手段は、蘇生呪文のザオラル・ザオリク、アイテムの世界樹の葉、そして教会だ。(他にもメガザルや必殺・連携技などがあるが、メガザルは新しく死人を生むし必殺・連携技なども習得は難しいので割愛)
この中で蘇生呪文と世界樹の葉は、少なくとも物語の中盤になるまではほぼ出てこない。しかもザオラルはまだしも世界樹の葉は希少な場合が多いので、おいそれと使うわけにはいかない。
ということで、蘇生手段を自前で持っていない冒険者は必然的に教会を頼ることになる。
もちろん無料でというわけにはいかないのが世の常。しっかりと寄付金を要求される。
これがなかなか財布に厳しいお値段。レベルが低いうちは数十ゴールドで済んでいたものが、レベルが上がるにつれてどんどんどんどん高くなっていく。
人を生き返らせるとかいう神をも恐れぬ所業を教会の人がやるわけだからそれなりの寄付金が必要なのはわかるが……。
そもそも終盤ともなればパーティー内に一人はザオラルないしはザオリク使いがいるため、そいつを生き返らせればあとは自前で生き返らせられるので教会に用はない。高レベルになればほぼほぼ必要がないため、低レベルのうちは格安というのはむしろ良心的なのかもしれない。
が、ザオラルをまだギリギリ覚えていないくらいのレベル帯の時点で少々厳しいのものがあったりする。
そしてこれは、全滅したときにこそ真価を発揮してくる。
ご存じドラクエは全滅すると所持金が半分になってしまう。
そして教会に戻ってきたとき、主人公以外はみんな死んだままなのだ。ドラクエ8からは全員復活した状態になったが、それまでは全員死んだまま……。当然生き返らせるためには教会を利用するのだが、そこにのしかかる寄付金。
所持金が半分になっているだけでも辛いのに、そこからさらい金をむしり取っていく教会。慈悲はないのか。
たしかに所持金半分は魔物たちが奪っている認識なので、教会側は「知りませんよそんなこと」と思うのは仕方ないのかもしれない。「こっちも慈善事業じゃないんで」という声が聞こえてきそうだ。慈善事業じゃないんだ……。
こうなってしまうとさぁ大変。
元々持っていたお金がたくさんあったり、預り所などに預けていればまだいいが、貧乏冒険者なんだとしたら仲間の生き返らせだけでじり貧になってしまう。
ただでさえ半分になってしまったゴールドがさらにさらに減っていってしまう。ザオラルを覚える前の段階であれば、まだそこまで仲間は多くはないと思うがそれでも複数人はいるだろう。ドラクエ6ならチャモロがザオラルを覚えるまでは最大で4人生き返らせなければいけない。勘弁してくれ~。ドラクエ5も主人公がレベル25で習得するまでは、仲間モンスターに使い手がいない限りはそれなりの人数を生き返らせなければいけない。馬車の面々もと考えると、いくら仲間モンスターのレベルが低めとはいえチリも積もれば……である。ドラクエ7ではうっかり僧侶に誰もならないでいると、メルビンが加入するまでは教会のお世話になるが、人数が比較的少ないのが幸いか。
こんな状態なのだから、下手したら手持ちのアイテムを売る羽目にだってなるかもしれない。大体、全滅をするということは今の状態より強くならなければならないわけだから装備だって新調したいはずだ。それを所持金半分にしたうえにさらに教会にお金を取られるとは何事だ!全滅しやすくて且つ教会のお世話にならなきゃいけない序盤の時期なんて、一番お金をためづらいときなんだが?
人の弱み、いや懐につけこんできやがるぜ~。
大体主人公のことは生き返らせてくれるのになぜ他の人は生き返らせてくれないのだ。慈善事業じゃないからか?ならむしろなぜ主人公はただで生き返るのだ?選ばれし存在だからか?しかし全滅さえしなければ主人公だって教会でお金を払って生き返らせなければいけない。
何なんだこの仕組みは。
全滅保険にでも入っているのだろうか。全滅をしたときには主人公の蘇生分はいただきませんみたいな保険。どこが出している保険だ。
所持金が半分になってしまい、仲間を生き返らせるゴールドもない若者がすごすごと棺桶を引きずりながら教会をあとにする、そんな姿を見て何も思わないのか、神父さんよぉ!
恐らく半分のゴールドを奪っているであろう魔物たちよりも、寄付金をむしりとっていく教会を憎く感じてしまう。世界救おうとしてるんだぞこちとら!!
そういうわけで、念願のザオラルを覚えたときには大体こう思うのだ。
もう教会の世話にならずに済むぜぇ!!
(文・やなぎアキ)
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