DQフリ ドラクエファンサイト

『ドラゴンクエスト』が好きだという全ての人へ送る、「ドラクエファンによるドラクエファンのための」フリーコンテンツです。毎日更新!

【ドラクエ7】ユバールの民のやってきたことは無駄だったのか?

神を復活させるため、何年何百年と放浪の旅を続けるユバール族。

トゥーラを弾き、歌を歌い、踊りを踊る、そんな彼ら。

いつか神を復活させる、それこそが自分の使命だと信じて疑わない。

 

そして念願かなって復活の儀式。はるか昔に一度は失敗した儀式を、とうとう完全な形で成し遂げることができた。

 

ま、復活したの、神じゃなくて魔王でしたけどね!

 

何百年も放浪の旅してたけど、神は復活させられなかったね!

 

まず復活させようとした神はそもそも死んでなどいないし、封印されていたりするわけでもない。自発的に異世界で修行していただけ。そこから大きなすれ違いが発生している。それなのになぜ、この儀式で神が復活する、という自信があったのだろう。族長の持ってる古文書の正体is何。

復活の儀式ではなく、召喚の儀式が必要だったろうし、なんならこちらの意思を伝達する仕組みのほうが必要だった。

当の神様はあんな感じなので、呼んでみたところで応えてくれるかはわからないが。

 

大体なぜ放浪の旅をしているかがわからない。

過去の世界で主人公たちとともに祭壇を見つけているのだから、そこに留まっていればよいではないか。最初にユバールの大陸を現代に復活させたときなんて、たいして世界は広くないんだから放浪するにも限度があるだろうに。

定住をしなさい定住を。

一応漫画版や小説版ではそれ相応の理由があって放浪していたから良いけども……。

 

そうして放浪の旅を続け、とうとう復活の儀式をとりおこない、神復活したやったー!と思ったらまさかの魔王。

当然ユバールの民は非難轟轟である。神なんていなくても世界は(仮初だけど)十分平和だったのだから当然である。誰よりも世界平和を望んでいた彼らがこれを招いたのは皮肉なものである。

 

だが魔王を倒したパーティーの中にユバールの民がいたのは幸いだった。

アイラの旅立ちを許した族長、首の皮一枚つながった。それでも誹謗中傷の嵐は止まらないだろうが。まぁ私があの世界の住民でも、ユバールにいい印象は持たないだろう。何してくれちゃってんのと。なんなら、そりゃ自分たちがしたことの後始末は自分たちでつけるべきだろ、とまで思うかもしれない。ひどいとは思うが、一市民からすればそう思うのも無理はない。

俯瞰して見れば、別にあの儀式がなくても遅かれ早かれオルゴ・デミーラは復活していたことはわかる。それはすべてを知るプレイヤーだからこそわかることだ。ユバールがやったことは、単純に復活するよりかは神になりすましたほうが派手だしより絶望だよね~とオルゴ・デミーラの演出を手伝ったくらいのことである。いや十分重罪かもだけど。

とにかく、ユバールがいようがいまいが魔王は復活していたんだよ、ということはいつかあの世界の人々にもわかってほしい。

 

それに、復活の儀式をやったタイミングが主人公たちが現役バリバリで戦っているときだったのも幸いした。これがもっと時がたって主人公たちがすっかり引退していたり、もっといえばろくに戦えるものがこの世に一人もいない時代だったら、それこそ世界は滅んでいただろう。精霊たちを起こすなんてこともできないため、せっかく封印が解けたマール・デ・ドラゴーンも封印世界に取り残されたままになる。そうなっていたら人魚にまでなったアニエスがつらすぎる。

むしろ、主人公たちが十分に強くなったタイミングで復活の儀式を行い、まんまと魔王を呼び出したのは絶好のタイミングといえる。

いっそ「今が魔王を倒す絶好のチャンスじゃあ!」とオルゴ・デミーラを呼び寄せた、とユバールは歴史改変をしてもいいかもしれない。だめか、レブレサックの二の舞か。

 

ユバール族は、神を復活させるという本来の使命は全然果たせなかったわけだが、結果的には世界平和には貢献できたといえるだろう。

でもそこに思い至る人が、果たして当事者であるあの世界の人々の中でどれくらいいるのかという話なので、当分は人里離れた場所で暮らすんだろう。

 

で、ほんとにあの儀式はなんのために存在してるの?

 

関連記事

www.dq-free.com

www.dq-free.com