世の中というのはたった数年で変わっていく。
数年前にあふれていたタピオカ屋は、今はあまり街中でみかけない。
それくらい数年で変わっていく。
もちろんゲームについてもそうだ。
数年で変わるならば、100年も経てばあのドラクエ5だって今とは全く違う話になってしまうかもしれない。
奴隷ターンがなくなる
奴隷という制度は悪しき歴史なので一切なくなる。過去によくないこととされたものは、たとえ作品内の表現であっても弾圧されるのだ。
まさかのドラクエ5の主人公を語るうえで欠かせない10年間の奴隷ターンがなくなってしまう。
ゲマに連れ去られた主人公とヘンリーは洞穴で暮らしてもらう。
大神殿はどうやってできるのかというと、ジャミとゴンズがせっせと作ります。二人は喜んで作るのでこれに関してはセーフ。
花嫁を選ぶイベントはなくなる
そもそもフローラの意思を無視して結婚相手を決めようとするルドマンという存在が抹消されるだろう。
さらには主人公が一方的に花嫁を選ぶという展開もいただけない。
というか結婚のシステムが変わっているかもしれない。
結婚そのものがなくなっているかもしれない。ただただ旅の目的が一致したビアンカ・フローラ・デボラが仲間になるという展開があり得る。馬車急にぎっちぎち。
これは、サブタイトルである「天空の花嫁」も変えなければいけないのではないか?
双子のどっちともが勇者
今は主人公の子供である双子の息子の方のみが勇者である。どちらも主人公と天空の花嫁の血を引いているというのに、なぜか息子のみ。
これはよくない。なぜ娘は勇者ではないのか。一応リメイク版では娘は主人公の血を色濃く引いているためモンスターと仲が良いという設定が追加されたが、そんなことでは生ぬるい。
どっちもだ、どっちも勇者にするのだ。
当然天空装備は一組しかない。そこは仲良く分け合ってもらう。
というか前述の結婚イベントがなくなった場合、二人はどう生まれるのだろう。主人公の血を引いてるとかもう関係なく天空から降りてきてもらうか……。
マーサとパパスは駆け落ちをしない
恋愛は自由だ!身分の差など関係ない!そもそも結婚をするのに周りの承諾など必要ない!まぁそれは現代もそうだと思うけど。
なので、エルヘブンの聖なる申し子マーサであっても、好きになった相手であれば自由に結婚していいはずだ。
グランバニアとエルヘブンの関係性が今よりももっと良好になるかもしれない。
いっそエルヘブンの民もグランバニアの城の中に収納しよう。
光の教団は別の組織になる
思想は自由なので……。
教団という言葉を使うのがあまりよくないことになっているかもしれない。ただただ魔王軍という名前になっているかもしれない。
ただ、得体のしれない教祖を奉っている教団が、光と名乗っていて世界中の人たちがそれに憧れているというのが、ドラクエ5の敵の恐ろしさだと思うからそこはそのままにしてほしい。
ジージョのセリフ
主人公が石像になったあと引き取られた先のお金持ちの家。そこの息子ジージョは、魔物たちに連れ去られてしまう。
そのシーンで、ジージョは突如現れた魔物たちに対して「おじちゃんたち誰?」と聞く。どこを見ておじちゃんだと思ったんだよと当時も思ったが、これは100年後では変わるだろう。
見た目だけでおじちゃんという性別のレッテルを貼るのは良くないことである。
断定せず「だれ?」だけで済ませるべきだ。
ドラクエ5をドラクエ5たらしめている結婚イベントの消滅から、ジージョのセリフという小さいところまで、100年という月日はこうもドラクエ5を変えてしまうのか。
マスタードラゴンの存在すらいよいよ怪しくなってしまうかもしれない。
月日によって価値観は変わったとしても、昔の名作はそのままであってほしいものだが……。
でもビアンカ・フローラ・デボラをいっぺんに仲間にするのはやってみたい。
(文・深々シン)
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