ダンジョン飯という漫画が好きだ。めちゃくちゃ好きだ。
ダンジョンに生息する魔物を調理して食べるという内容なのだが、架空の料理なのにやたらうまそうなのがいい。
しかし、ただ飯を食っているだけの漫画ではない。
そもそも主人公たちが探索するダンジョンというのは、突如現れたもので、ダンジョンの支配者を倒すことで倒した者はダンジョンを意のままに使うことができる権利を得られるのだ。
その権利を得るためにダンジョンに潜るものもいれば、ただ日銭を稼ぐためにダンジョンに潜るものもいる。目的は様々だ。
主人公はというと、これと言って目的があってダンジョンに潜っているわけではない。支配者を倒したらどうするかというのを元々は特に考えてはいない。周りから色々言われてそこでようやく考え始める程度だ。そこにダンジョンがあって、面白いから楽しそうだから、そして知りたいからという好奇心に基づいているのが一番近いだろう。
それを、道中出会う人々にとがめられたりもする。もっと目的を持って、責任を持ってダンジョンに潜るべきだと。
まて。
まてまてまてまて。
いいじゃないか好奇心!
別にこれといった明確な目的もなく冒険したっていいじゃないか!!
というか、それが冒険だろうが!!!!!
と私は思いながら読んでいるのだが、ここでふと思った。
ドラクエはすべて冒険をするストーリーだが、純粋に好奇心でもって冒険をしているのって、ドラクエ7くらいじゃないか?と。
大体が魔王を倒すとか、母親を探すとか、仇を倒すとか、明確な理由がある。
一応、ドラクエ6もちょっと好奇心に近い。しかしレイドックに着くとすぐにムドーという存在を意識させられる。
ドラクエ7はどうだ。たしかに序盤からオルゴデミーラの存在をちらつかされ、どうやらそいつのせいで世界は闇に閉ざされているらしいことはわかるが、それでもとにかく次へ次へという好奇心が彼らの原動力なのだ。
途中からは彼らにも恐らく、世界をあるべき姿に戻すことが使命!みたいな感覚は芽生えていただろう。メルビンやアイラはまさしくそうだ。
しかし、主人公やマリベル(とキーファ)は、まさしく冒険をしたいという気持ちから旅をしていたはずだ。
その感覚!未知のものに対する好奇心!これこそが冒険であり、それこそがドラクエ7の始まり!
世界をあるべき姿に戻したい!というのは世界の真実が見えてきてからできた後付けの理由であって、基本はとにかく冒険がしたくてしたくてたまらないから大陸を復活させていたはずだ。
さすがに魔王が復活してからは好奇心がどうだこうだ言ってられなくなってしまったが、根底にある部分を忘れてはいけない。マリベルのような、魔王になんの因縁もないキャラクターがいるのは、最初の動機を忘れないためではないか。
ああ、私がドラクエ7を好きな理由の一つが、綺麗に紐解けたような気がする。
ドラクエ7は他作品に比べると、少年少女の物語であるという側面が強い(じじいが一人いるけど)。そんな彼らが冒険を始める理由、それが好奇心でなくてなんだというのか。
ありがとうダンジョン飯。
めちゃくちゃ面白いんでぜひ読んでみてください。
(文・やなぎアキ)
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