魔王を倒すために旅に出た歴代の勇者たち、母を救うため父と旅をする少年。
ドラクエ5までは、主人公が旅に出る理由というのは非常に明確だった。
世界を脅かす存在があり、それを倒すために旅に出るというのは言わずもがな使命に燃えている。行方不明になってしまった母を探すというのもまたしかり。
そして、ドラクエ6では様子が変わる。
オープニングに見るムドーとの戦いの夢により、プレイヤー自身は「こいつを倒すことが目的なのだろうな」と考えることはできるだろう。しかし、あくまでそれはプレイヤーの視点からであって、主人公からしてみれば、ただの不思議な夢である。自分は普通の青年であり、これからもそうやって暮らしていくだろうと思い込んでいるはずだ。
この平和なスタートは、実は今までのドラクエにはなかった。
そして、実際に村を出る時の理由も、まだ冒険感はない。
なんせ村祭りで使う精霊のかんむりを買いに行ってくれというお使いなのだから。お使い。お使いだ。魔王を倒す旅に出る!というものではない。ドラクエ5もある意味お使いだが、それは主人公がまだ幼い子供だからこそだろうという判断で落ち着く。どちらにせよ長い旅の末という始まり方なので、村でのんびりと生きてきた(実際は違うが)6の主人公とは境遇が違う。
そう、ただの村の青年による、ただのお使いである。
主人公にとっては、普段はしないちょっとした遠出という感覚で、それはある意味冒険なのかもしれないがちょっとしたイベント程度ではあるだろう。
山肌を下り、麓の町にたどり着き、自分の育った村よりも都会的なその町にワクワクする。ささやか!なんとささやかな旅の始まりか!なんかちょっとリアル!
かたやドラクエ4の主人公は村を焼き払われているというのに!
そして見つける大地に開いた大穴、そこから見えるもう一つの世界。
ぼ、冒険の始まり……。
あまりにもワクワクしすぎる冒険の始まり……!!!
これまでは魔王という目的があり旅に出ることばかり。そしてドラクエ5では保護者がついているということで、とりあえず保護者についていくという、変則的ではあるがどこか自由度が足りない旅の始まりだった。現にドラクエ5にて自由を勝ち取れるのは青年になってからだ(あれはあれでめちゃくちゃ最高の始まり方)。
そこにきての、村で頼まれたお使いに出たら、なんかもう一個世界見つけちゃったんですけど!?という冒険の導入。
勇者としてではなく、冒険者としてでいえば、もう最高にワックワクする始まり方である。
なんだこれ!うっかり穴に落ちてみたけど、もう一個世界がある!しかもなんか自分、他の人に見えていないっぽい!ここはどこで、一体なんなの!?というかどうやって帰ったらいいの!?
この圧倒的情報不足感こそが冒険の醍醐味である。
これまでと違い、自分の足で世界の不思議を見つけ、もっと知りたい!と思わせてくれる冒険の始まり方だ。
天空シリーズはロトシリーズと同じ勇者が中心となった物語だが、ドラクエ6だけは少し特殊である。唯一無二の勇者という存在について曖昧なのである。あくまでドラクエ6の主人公は、一旅人であり一冒険者なのだ。そんなドラクエ6だからこそ、自由を感じさせる展開なのかもしれない。さすがシリーズでもなかなかの自由度を誇る作品である。
無事元の世界に戻ってきてからも、「あれは一体なんだったんだろう?」と胸のドキドキを抑えられない。これはプレイヤーだけではなく主人公も感じていることだろう。「あれは一体なんだ?あれの秘密を解き明かしたい!」と。
ドラクエ6は、秘密を解き明かしたい!という好奇心が始まりになるのだ。
お使いを終えた主人公は、祭りの最中にルビス様からお告げを受ける。これによって、今までのドラクエ同様に自分はただものではないのかもしれないと思うことはできる。
ここからようやく、ドラクエ6の冒険が本格的に始まる。
ルビス様のお告げがあったために、自分は特別な存在で、世界の真実と本当の自分を探さなければいけないんだという使命感が生まれる。
しかし、冒険に出たい!と思うきっかけは、自身が見つけた大穴と自身から湧き上がる好奇心なのである。誰かに言われたからではない。
ドラクエ6のテーマは「自分探し」だという。だからこそ、こういった冒険の始まり方だったのだろう。
これは次作のドラクエ7にも言えることだが、やはり自分の中から湧き上がってくる好奇心に身をゆだねてこそ、真の冒険者だろう。
(文・やなぎアキ)
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