世界を滅ぼそうとする魔王という存在と、その魔王を打ち倒し世界に平和をもたらさんとする勇者。設定が変わる部分はあれど、この基本的な大枠は変わらないのがドラゴンクエストのストーリーだ。
特にロトシリーズと呼ばれる最初の三作品ではそれが色濃く表され、悪であるモンスター側と正義である人間側がはっきりと分かれていた。
その後、大小あれど人間側の醜さを描くことも増えていったドラクエ。
しかしそれが決定的に描かれたのはドラクエ4からだろう。
ドラクエ4の本編である5章の始まりは衝撃そのものだ。静かに穏やかに暮らす村人たちが全員命を散らし、ただ一人生き残った勇者は焼き払われたその故郷をあとにしなければならない。
これにより勇者は魔族を憎む大義名分を得る。
やはり魔族は悪であり、人間にとっての脅威であると。
しかし冒険をしていくなかで勇者は人間もまた脅威になり得ることを知る。
ロザリーヒルで出会ったエルフのロザリーは、その特異な体質により人間たちに執拗に追われいじめられていた過去を持っていた。そんなロザリーを助け出したのがピサロである。自分の欲を満たすために他種族をいじめることは到底許されない行為であるが、それを自分たちが守りたいと思っている人間たちが行っていることに複雑な感情を覚えるだろう。
心優しいロザリーは人間を恨むわけでもなく、恐ろしい野望を抱くピサロを止めてほしいと勇者たちに懇願する。
果たして悪いのは魔族だけか?魔族は人間にとっては脅威であるが、それ以外の生き物に対してはどうだ?人間はすべての種族にとって優しいか?
少なくとも、ロザリーヒルの住民たちを見ると、一つの側面しか見ていなかった自分に気づくことができる。
しかしだからといって、ピサロが人間を滅ぼそうとしているのを見過ごすわけにはいかない。
そもそも、悪い人間たちばかりではないのだから、全てを根絶やしにするのは間違っているだろう。しかし、それは魔族に対しても言えるのではないか?という疑問がよぎる。魔族にだって良い魔族はいるのではないか?「わるいスライムじゃないよ」と言うスライムがいるくらいだ。
魔族の王、魔王というのは、ロトシリーズでは迷うことなく倒すべき存在であった。しかし、人間の持つ欲望が浮き彫りになったことにより、そこに迷いが生じるようになった。しかし冒険の歩みを止めるわけにはいかない。
そして冒険を進めていくうちに、許しがたい事件が発生する。
欲に走った人間たちが、ロザリーを殺してしまうのだ。
息絶える直前、ロザリーは野望を捨てるよう再度懇願するが、ピサロにその言葉は届かず人間を根絶やしにするために進化の秘法を自らに使ってしまう。
ピサロはロザリーに出会う前から人間を毛嫌いしており、滅ぼすべき存在であると思っているため、ロザリーに対する人間の行いは直接的な理由ではないのかもしれない。
しかしピサロが元々人間を憎んでいたとしても、その引き金を引いたのは愚かな人間の行いなのである。
もしロザリーが人間にいじめられずに、そのまま平和に暮らし続けていれば、いつかはピサロもロザリーに説得されたかもしれない。
そうでなくとも、ピサロが人間を滅ぼすために復活させようとしたエスタークは、勇者の手によって倒されていたのだ。その後ピサロが進化の秘法を自らに使ったのは、ロザリーを人間に殺されたことにより憎しみが爆発したからだ。
その後に、エビルプリーストがいたからロザリーは死んでしまったのだとわかるが、たとえエビルプリーストがいなかったとしても、ロザリーは人間の手にかけられて死んでしまう未来はいくらでもあっただろう。そうでなくとも、人間の醜い欲望にエビルプリーストが付け込んだのだから、元は人間が悪いのである。
夢とはいえ、この事件を目の当たりにしてしまっては、果たして人間と魔族どちらが悪なのかがわからなくなってしまうだろう。リメイク版の仲間会話でも、仲間たちの複雑な心境が伝わってくる。
ピサロがそもそも人間を滅ぼそうとしているのだから、それを阻止するのは正当防衛として成り立つ。しかしこのような醜悪な人間の姿を見せられては、ピサロも過去に、人間から非道な仕打ちを受けたのではと考えてしまう。人間は魔族にとって危険だと思ったのであれば、人間を滅ぼすことは、ピサロにとっての正当防衛なのかもしれない。
さんざん人間に非道なことをしてきたピサロに同情の余地はないが、かといって人間の蛮行が許されるわけでもない。すべて魔族が悪いとは言い切れないことが、ロザリーを中心としたイベントで伝わってくる。
ピサロがなぜ人間を滅ぼしたいかの最初の動機が本編では語られないので、結局は憶測でしかない。しかし、だからこそ、ドラクエ4で争いになってしまったのだ。お互いの悪いところしか見えていないうちは、戦うしかないのだ。
勧善懲悪の王道ストーリーを貫いていたロトシリーズからの脱却として、立場が変われば人間も悪であることをドラクエ4ではえがいた。人間と魔族が争う構図は変わらないままだが、なぜ自分は戦うのか、なぜ相手は戦うのかというドラマが生まれたのがドラクエ4だ。
勇者もピサロも、お互いを倒したい理由は変わらないのかもしれない。
しかし、「わるいスライムじゃないよ」というスライムの言葉を信じ、ネコとのささやかな逢瀬を許した勇者には、リメイク版の6章という選択ができた。人間の悪をも描いたからこそ、あの6章は意味を成すと思う。
(文・やなぎアキ)
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