我々が愛してやまない「ドラクエ」。
初代ドラゴンクエストは発売から今に至るまで、幅広いファンに愛される作品となった。
ドラクエの各作品はリメイクや移植などを経て、世代を越えたファンを獲得している。
しかし、今となってはプレイすることが実質不可能な作品も、いくつかある。
「TVゲーム」の歴史が始まって、数十年もの時がすぎ、ゲームのあり方は様々な方向に変化を遂げてきた。
据え置き型のハードから、携帯可能なハード、そしてスマートフォンの普及による「ソシャゲ」の台頭──。
変わらないものと変わりゆくもののなかで、ドラクエは生き残ってきた。
──そして。
「ドラクエウォーク」が2019年にリリース。
「ドラクエタクト」が2020年にリリース。
新しい技術との融合、そして進化を繰り返しながら、新規のファンを取り込みつつ「大人から子供まで好きなコンテンツ」としての地位を確率してきた。
その「ドラクエタクト」と入れ替わるように、表舞台から退場することになったのが「ドラゴンクエスト どこでもモンスターパレード」だ。
どこでもモンスターパレードは、「モンパレ」で親しまれた「ドラゴンクエスト モンスターパレード」のスマホ移植版。スマホで気軽に楽しめるドラクエとあって、すぐに人気アプリのひとつになった。
大まかなストーリーとしては、キャラバンを組んで大陸を探検するというもの。ゲームの操作性もさることながら、運命と向き合いながら成長していく主人公と仲間たちを描く重厚なストーリーはなかなかのクオリティ。「さすがドラクエ」と思ったファンも少なくなかっただろう。
モンスターをつまめるという仕様も面白く、ドラクエのナンバリングタイトルでボスだったモンスターたちですら、かわいらしく持ち運べるというのは斬新だった。
「あのモンスターがこんな表情に?」と感じて思わず笑顔になったこともあった。
さらにソシャゲらしく、チームの仲間とおためしバトルやチームクエスト、マルチバトルを楽しむこともできる。カジノのスロットもよい出来栄えだった。
「モンパレ」が2019年6月24日をもってサービス終了したときに、次は「どこパレ」が同じ運命をたどると予想した人も多かっただろう。それから1年も経たないうちに、「どこパレ」のサービス終了が2020年7月末と発表された。
ソシャゲのサービス終了はこれまで何度か経験してきたが、いつになっても不思議な感覚に陥る。ドラクエでも過去にいくつかあったのだが、それでもだ。あんなに夢中になったゲームが、配信終了とともにプレイできなくなる……それがソシャゲの仕様なのだとわかってはいるのだが。
あのキャラクターたちとは、もう会えない。
いつでもゲームを起動できて、いつでもやり直せるスーファミやプレステのソフトに慣れた世代の私にとって、それは未だ慣れないことなのだ。
子供の頃に育てたドラクエの「最強キャラ」たちは、カセットの中に未だ眠っている。
しかし、私が「どこパレ」で育てたモンスターとは、もう会えない。
チームのメンバーとも、ストーリーに登場したキャラクターとも、もう会うことができないのだ。サービス終了後、冒険の記録を閲覧できるWEBページが公開され、それだけがインターネットの波に残される。
あの冒険を、目の前で感じることはもうない。
永遠に遊べるソシャゲというのは、存在しない。
きっと、「今」を楽しむことが、1番正しいソシャゲの遊び方なのだろう。
むしろ「今」を楽しむことこそがエンターテイメントの真髄というような気もする。
「全クリしたゲーム」を何度もやる人は、全体の何割の人間だろうか?
「全クリしたデータ」の最強のキャラを見返しては何度でも楽しい気分になる人間は、全体の何割だろうか?
そう考えると、実は永続性というのは、ゲームにおいてそんなに重要ではないことなのだと思う。
陳腐な言い方をしてしまえば「楽しんだ思い出が財産」というわけだ。
「どこパレ」最終日にTwitterを開いてみると、公式アカウントのサービス終了Tweetに対して、「ありがとう!」「お疲れ様!」「楽しかった!」といったポジティブなリプライが並んでいた。
見ていて、嬉しくなる光景だった。
私もそのスタンスでドラクエのソシャゲと向き合っていきたいと思った。
スマホだろうとSwitchだろうとPS4だろうと、楽しむことが本質であるのだと、改めて気がつかされる。
ゲームというのは、残すためではなく、今を楽しむために遊ぶものなんだ、と。……もちろん実家に飾ってある過去の「軌跡」を、これから処分しようというわけではないが。
そんな当然のことを感じた私は、ようやく「ドラクエタクト」をインストールした。
いつかサービス終了がくるその日まで、この新しいキャラクター、新しい仲間たちと「ドラクエ」の進化を楽しみたい。
(文・深々シン)
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