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【ドラクエ1】1人で魔王を倒す初代ドラクエ勇者の強さに憧れる。

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数多くのナンバリングタイトルはあれど、たった1人で魔王をたおしたドラクエ主人公はドラクエ1の勇者だけだ。

そんな強さに、つい憧れる自分がいる。

 

 

 

現代社会において、強さの定義は多様だ。

しかし多くの場合、社会に出て求められるのは、チームで何かをやり遂げる「強さ」ではないだろうか。

大きなモノを作り上げるにせよ、大きなモノを維持・運営していくにせよ、マンパワーには限界がある。だからこそチームで物事に取り組むことが増えているし、その中で求められる調整力・コミュニケーションスキル等を高いレベルで持つ人間は重宝されるようになる。

人を巻き込み、特性を見抜き、最適な分担を選び、鼓舞していく事で、大きな事を成し遂げられるのだ。

 

自分でやれないことは、仲間に頼る。

自分が得意なことで、人を助ける。

 

これは大切な人生訓であり、ドラクエの各作品でも強く感じるところである。

 

個性豊かな導かれし仲間たちと歩んでいくドラクエ4。

親子、そして仲間モンスターとの絆を深めながら仇敵に挑むドラクエ5。

幼馴染での冒険をきっかけに、いつしか世界の深淵を究明する旅になっていくドラクエ7。

 

多くのドラクエで、各キャラクターはそれぞれの苦手を補い合いながら、冒険を進めていくことになる。

人は何かに背中を預け、得意不得意を埋め合う事で、大きな事……つまりラスボスの討伐ができる。決して人は、1人ではないのだと、強く思い知らされる。これもまた、良き学びだ。

 

しかし一方で、その流れに当てはまらない主人公がいる。

初代ドラクエの勇者だ。

システム上の制約といった裏事情・根本原因は差し置いて、あの勇者の生き様には惹かれるものがある。

どうしてだろう?

チームプレーの大切さ・絆の素晴らしさを知ってなお、あの背中に憧れてしまう自分がいるのだ。

 

王からの支援は120ゴールド。与えられたアイテムもたいまつ・カギと、決して潤沢ではない。持てるアイテム自体も、多くはない。そもそもアイテムのバリエーションだって少ない。回復役もいなければ補助呪文をかけてくれる仲間もいない。たいまつを自分で持ち、1人洞窟へと入っていく。

ラーミアのような不思議な力で主人公を後押ししてくれる、超越的な存在もいない。あるのは虹の玉くらいだ。

 

そんな限られた状況で、あのラダトーム城を覆う絶望的な空気を目の当たりにしてなお、世界のため旅に出る。相手は、それこそ超越的な力を持つりゅうおう。軍を率いて、じわじわと人類を滅ぼさんとする、悪のカリスマだ。そびえ立つ城の不吉な雰囲気に、後ずさりたい気持ちになってもおかしくない。それでも、勇者は進むのだ。

 

私は、どこかに自分を救ってくれる仲間がいると信じてるところがある。自分に足りないものがあれば、それを補ってくれる仲間を探せばいいと。1人で抱え込むのは愚策で、自己分析や自己開示を繰り返すことで、より良い状況を導き出せると信じている。

今の社会において、それは決して間違ったスタンスではない。きっと「良し」とされる方向性の考え方だ。1人でなんとかしようとするよりも、適材適所でうまく切り抜けていくべきだ。

 

でも、もしどうしても1人で立ち向かわなくてはいけなかったら?

疲弊した人々を見捨てるのか。

怯え絶望した人々を無理矢理立ち上がらせ、危険な旅に巻き込んでいくのか。

適切な仲間を探し、機を逸するのか。

あの勇者であれば、そんなことはしないだろう。無骨に、1人で解決しようと最善を尽くすのだ。

私には、あの黙々と洞窟に入っていくドット絵が、そんな男に見えたのだ。

 

絆やチームワークは大切だ。でも、1人でやり遂げようとする覚悟と思い切りも必要だ。

 

それがわかっていて、でも覚悟が足りていないからこそ、あの勇者についつい畏敬の念を抱くのだろう。1人で姫を救い、魔王を打ち破り、世界に光を取り戻した、あの伝説の勇者に。

 

(文・OGTキシン)

 

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