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【ネタバレ有り】「ドラクエ保守派」な私の、ドラクエ映画批評【5000字超】

うぐぅ

 タイトルにもある通り、私はめちゃくちゃに保守派だ。ドラクエに限らず保守派だ。もう少しわかりやすく言うと、懐古厨というやつだ。厳密にいえば少し違うと思うが。

 

そんな私が話題の『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』を観てきた。そんな私の個人的主張。

 

 

観る前のスタンス

正直、ドラクエが映画になると初めて聞いたときは不安でしかなかった。ゲームの映画化というのは別に珍しくない。有名なのはトゥームレイダー、バイオハザード、サイレントヒルあたりか。最近だと名探偵ピカチュウ、あれはめちゃくちゃ良かった。アニメ映画だと言わずもがなポケモン、アイマス、レイトン教授などなど。FFも映画になっている。 

成功している作品はそれなりに多い。映画が有名になりすぎて、ゲームはやったことないけど映画なら、というものも当然ある。ゲームを映画化するのは悪くない試みだ。

 

だが失敗するゲーム映画も非常に多い。映画は尺が大体120分くらい。アニメ映画だともう少し短い、せいぜい100分あたり。しかし実際のゲームは、エンディングまでに何十時間も費やすのがほとんどだ。何十時間を、100分にまとめる。無理がある。よほどうまくやらない限りが厳しい。結果、中身がないとか、突拍子もないとか、演出ばかり凝っていて脚本どうなってんだよ、とか言われる羽目になる。

 

ドラクエ映画もそうなるだろうと思った。

 

ポケモンのように、ゲームからアニメへ、そして映画へ。という軌跡を辿るのであれば、映画ではあるエピソードだけ切り抜いて(というか作り出して)映画にすればいい。しかし今回のドラクエは旅の始まりから終わりまで描かなければいけない。100分程度で。途中RADWIMPSでもかけながら早回ししないと間に合わない。しかもドラクエ5を元に作るというではないか。ストーリーのドラマチックさでいえばピカ一なドラクエ5を選びたくなる気持ちも分かるが、本当に映画に収まるのか?と不安でしかなかった。

 

映画を純粋に観たい欲で言えば、そこまで高くはなかった。映画はよく観る方なので、この夏は他に優先すべき映画が沢山あることもあって正直どうしたものかと思っていた。しかしそこは物心ついたころにはドラクエファンだった自分だ。もはや観ることは義務である。面白そうとか、面白くなさそうとかじゃなく、義務なのである。たとえ公開前に映画館で流れる予告編を見て「作品としては面白そうな感じが微塵もしない」と思ったとしても。だってドラクエなんだから、そら観るさ。不安しかないけど。

 

保守派な私だが、過激な保守派というわけでもない。原作ありきの作品に対して、「原作と全然違う!」と憤ることはあまりない。今回の映画で言えば、「こんなのドラクエ5じゃない!」とか「こんなのドラクエですらない!」とかにはならないだろうなと思っていた。

「いやそれ保守派じゃなくない?」と思うだろうか。いやでも私は保守派なのだ。というか、保守しすぎているのだ。

元と全然違う様になってしまったら、「これは原作とは別物。まったくの別物でしかない。なので別にどうされようと関係ない」モードに入る。元の作品をいじられたくない余りに、完全に作品を分断させてしまう。原作はあくまでもエッセンス、くらいのスタンス。こうして私は私の中の作品を堅固に守っているのだ。

 

そして今回のドラクエ映画。あくまでドラクエ5は原案。原作ではない。詳しい言葉の意味ははぶくが、原作よりニュアンス的には原案の方が弱い。この作品を案に作ってみましたぁくらいの感覚だ。

なので、私にしてみれば親切だ。はなから「これはドラクエ5とは似て非なるものなんだなぁ」と思えるから。なので私のドラクエ5の思い出は汚れることはない。もう観る前から汚れるとか思っている時点で全く期待していないの丸わかりだが。

 

それに、いくら期待できないとは言え、映画を作っているのはその道のプロだ。監督やらなんやらの評判はどうあれ、プロである。私なんかは映画を観ることはできても、どう頑張っても映画は作れない。なので映画作りに関してはプロに任せるのが一番いい。プロの集団が作った映画なのだから、何かしら得るものはあるはずだと思っていた。

 

なので、映画を観る前は「正直内容には期待していないけど、映画館のよい音響でドラクエ音楽が聴ける。そしてプロ集団が作った高クオリティなドラクエの映像が観れる」くらいの気持ちだった。内容を度外視して音楽と映像だけ楽しむだけでも、十分映画代金分の元は取れるなと楽観的だった。

 

別に主人公が勇者でも、双子が出てこなくても、結婚しなくても、ゲマがラスト勝っても、なんでもいいよと思っていた。最悪、ゲマに負けた後、世界を救うのは君だ!っていうメタ的エンドでもいいよ、ユア・ストーリーとか言うくらいだからと。だってドラクエ5じゃないんだし。

 

 

見てるときの反応(見た人には伝われ)

いや思ったよりドラクエ5(画面が)

 

ダイジェストがすぎる

 

手でかいな

 

ダイジェストすぎてパパスの死があっさり

 

タイトル出ないんだな

 

ヘンリー(笑)

 

スライムかわいい

 

スライムしゃべらないんだな

 

ここで序曲は無駄遣い

 

スパイダーバースってやっぱすごかったんだな

 

ゲレゲレあっさりがすぎる

 

フローラいけるやん

 

やくそうの効能(笑)

 

ビアンカの距離感なんなんだよ

 

なんだこのババア

 

急に電脳世界だな←ここ重要

 

バカなのアホなの死ぬの?

  

なんだこのババア

 

ババアーーーー!!

 

いや一人なんかい!

 

葬られたタバサ……

 

ゴンズかわいいな

 

お腹減ったな

 

球体で眠り続けるってめちゃ強キャラ感

 

私もつまらない出来だと思います

 

息子ぉぉぉぉ

 

レックスじゃないの嫌だな

 

今回のってなんだよ

 

俺たちのポワンキター

 

スライムまだしゃべらないんだな

 

マスドラの扱い(笑)

 

だから今回のってなんだよ

 

ヘンリー(笑)

 

ワカンダフォーエバー!

 

ジャミとゴンズよえーー

 

え?

 

は?

 

ほー

 

レディプレイヤーワン面白かったなぁ

 

なるほどねぇ

 

おいこのタイミングで客がトイレ行ったぞ(爆笑)

 

ピピン!お前ピピンじゃないか!

 

このゲームむしろやりたい

 

レディプレイヤーワンまた観たいな

 

お腹減ったわ

 

キェェェェェスラリン喋ったぁぁぁぁ

 

(無)

 

(無)(無)

 

(無)(無)(無)

 

ここでタイトルか

 

いや原作かよ、原案じゃないのかよ

 

映画を振り返ってみて

怒涛の103分。

 

いや、悪くなかったよ。というのが第一の感想。あ、純粋に「映画」として考えると悪い、うん。

 

事前に、どうやらめちゃくちゃ批判されているらしいという情報は当然入っていた。それにしてはまぁ、別にいいかなと思った。が、当然これに対して納得がいかなかったり怒ったりする人がいるのもめちゃくちゃ理解ができる。

まさしくこんなのドラクエじゃねぇといったところか。ドラクエ5やったことねぇだろと(現に監督はドラクエ5どころかシリーズもろくにやっていないらしいが)。でも別にいいかなと。

 

私はドラクエ保守派だ。ドラクエにはこうであってほしいと常に凝り固まった思想のもと生きている。そんな私がなぜ「悪くなかったよ」とか、「別にいいよ」と思ったのか。それは最初にも書いた通り、元の作品と完全に分離して考えているからだ。

 

映画そのものの面白さについては激しく物申したいことはある。特に人の心の機微だとか揺れ動きだとか。ゲレゲレ必要だった?いらなくない?とか。でもそんなこと言いだしたらきりがないし、見た人がさんざん思っているだろうから割愛するとして。保守派なりに「ありっちゃあり」と思った理由を。

 

そもそもこの映画の最大の問題点は終盤の唐突な展開だろう。映画館で「え?」と誰もがなったはず。そして誰もが「誰だよお前」となったはず。

そこからの怒涛の種明かし。そういうえばそう考えるとあれもこれも伏線か、そーかそーかと親切に合点させてくる、めちゃくちゃ無理やりに。

 

で、だ。このあたりから私はわりと「いいじゃん」と思っていた。なぜかというと、そこまでの話の運びが、ご存知のとおり〇ソ駆け足のク〇展開だったからだ。しかもあとに何も残さないク〇ソ加減。このまま映画が終わってしまったらそれこそお金の無駄。家でゲームやってたほうがまし。映画独自の展開?元々あったものを削って入れ替えてまた削ってしただけだろ。逆にゲームに忠実すぎじゃない?もっと自由にやれたんじゃない?と。半端にゲームに忠実にやられると、保守派の私の保守な部分、火が噴いちゃうよ?とか思っていた。

 

そこに来てのあのオリジナルの謎展開。正直、「なにこれ」「なぞすぎる」「バカなの?」と思った。だが、これこそ欲していたものだとも思った。

 

あの謎展開がなく、単純にミルドラースを倒して平和を取り戻したエンドにされると非常に困るのだ。数十時間かかる冒険の旅路を100分で見せられるだけになるのだ。数十時間を100分そこそこにまとめるのが難しいのは承知しているが、それを馬鹿正直にやられるとひっじょーーーにつまらない。ただつまらないだけ。こちとら「映画」を見に来てるんだよ。「ドラクエ5」見に来たわけじゃないんだよと。どうせドラクエ5という神作品を超えることなんて到底できないんだから、もっと映画でしかできないことやれよと。

 

だからあれくらいやってくれてよかった。むしろ助かったといってもいい。これで私は「ユア・ストーリー」と「ドラゴンクエスト」は別物と考えていい、いわば大儀名分を得たのだ。サンキュー、監督。私の「ドラクエ」は守られたよ。

 

これでもう、リュカのキャラクターがなよなよしていて私の中の5主と違うとか、ヘンリーはそんな性格じゃないとか、魔物使いの要素なさすぎワロスとか、「お父さんを大切にするんだよ」くらい言えよとか、考えなくてすむんだ。だってあれ、私の知ってる「ドラクエ」じゃないんだから。あのVRよりもっとハイテクにした自分なりのドラクエを楽しめるゲームをやっていた「あの人」の「ドラクエ」なんだから。あーよかった。

 

そう、あの展開にしてくれたおかげで、私が一番ドラクエに対して常日頃思っている「主人公は私自身」というスタンスも守られた。観る前(そして観ている最中)、やめろ!主人公は私だ!私は佐藤健の美声なんて持っていない!と思っていた。なんてことはない、「今回は」他の人がやっているドラクエだったんですね、はいはいはーい。

 

とは言ってもだ、ドラクエとして以前に、映画としてあの展開はなくない?という意見もあるだろう。だが私としてはそれも別にいい。なぜかというと、あれが思いもよらない展開だったからだ。考えつかない、あんなの、並の神経じゃ。「私のほうがおもしろく作れた!」、こんな声も多分どこかでいくつも上がっていると思う。でもあのヤヴァイ展開は思いつかないだろう。思いつかないほうがいいのは当たり前だ、意味わからない展開ではある。というかストーリーとしては割と最悪。でもいい。だって並の神経じゃ思いつかないような、思いついてもみんな踏みとどまるようなものを見せてくれたんだから。これが映画の醍醐味ではないか?やっぱり何かのプロになるには、並ではいけないんだな。凡人である私では映画は作れないし、作ったとしても凡作になってしまうのだろう。これよりもファンが納得するようなものは作れるかもしれない。でもそれはゲームよりは劣っているわけだから。それなら誰も思いつかないような展開にしたほうがましだと思う。だからあれでいい。観たことないものを見せてくれたというだけでお金を払った価値はある。

 

ウイルスとやらも、まさにラスボス・裏ボスっぽくて個人的にはよかった。ラスボスとか裏ボスってぽっと出な感じしない?それこそゲーム中で「お前誰だ急にしゃしゃり出てきやがって、でかい顔しやがって」ってやついない?あれ感があった。デザイン含めて。なんでそんなことするの?っていうのがよくわからないのも、それっぽかった。

 

「君の名は。」や「天気の子」がRADWIMPSの贅沢なMVであるように、「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」はドラクエの壮大なPVだったんだ。そう私の中では締めくくられた。OK、オレ、もっとドラクエやるよ……!みたいな使命感にも目覚められた。え?あれMVじゃないの?

 

よかった、私のドラクエの思い出は汚されなかった。ドラクエ好きとして映画を観ることは義務だった。義務だったんだよ。でも私のドラクエは、私だけのものなんだ。ふぅ、やれやれ、映画途中までハラハラさせやがって。

 

 あと、これだけのひどい映画になってくれると、みんなと語れる思い出が増えたなと思える。原作に忠実な、それこそ「ドラクエ」を作られたら、ドラクエファンが集まった時に、映画よりもゲームそのものについて話したいじゃないか、そりゃ。ここまで映画がやらかしてくれたおかげで、よっぽど人と話したくなるものになった。DVD出たら買って、みんなで見たい。絶対楽しいもん。

居酒屋で友人とぐだぐだと語るネタとしては十分すぎるほどのネタを提供してもらった。

 

ドラクエ保守派なあまり、とんでもない展開でいろいろ壊してくれてありがとうなどという、自分勝手な感想になってしまった。何はともあれ、ドラクエを守ることはできた。満足。

 

(文・やなぎアキ)

 

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