子供が夢を持つのはいいことだ。いいことのはずだが、子供可愛さの余りか、その夢をまっすぐに応援できる、そういう大人は少ないのかもしれない。
安定と安全を選ぶよう説得するのは大人としては正しいかもしれないが、もし子供が何よりもやりたいことがあるというのならば、時には正しく後押しをする必要もある。
反対するにせよ賛成するにせよ、教えられることはあるはずだ。
ボルカノは言う
大人に内緒で遺跡探検をし、過去に遡り、獰猛な魔物と戦い、島を復活させる。
そんな途方もない危険な冒険を、子供たちが子供たちだけでしている。
当然大人たちは頭ごなしに叱る、やめさせようとする。
それもそうだ。未知数な世界に足を踏み入れて、魔物までいて、いつ命を落とすかわからないんだから。
王子だからとか、女の子だからとか関係ない。そんなのは冒険をやめさせるための言い訳にしかすぎない。我が子が心配だ、それだけだ理由だ。
その冒険がどれだけ有益な結果を生むか、そもそもその冒険がどれだけ楽しいかなんてことは大人たちには関係ない。危険かそうじゃないかだけだ。
だがボルカノは違う。
頭ごなしの反対は、説得の方法としては一番ナンセンスだ。強い力を加えれば加えるほど、反発の力は大きくなる。
王子だから。女の子だから。それを反対の理由にされても心に響かない。生まれもった立場は、本人たちが望んだものではないのだから。
王子に生まれたから好きなことが出来ない。女の子に生まれたから好きなことが出来ない。そんな話はありえない。
ボルカノの反対の理由は違う。
自分たちが好きで勝手に始めたことで、心配をしている人がいる。
立場関係なく、純粋に心配している。何をしているのかも告げられずに、数日姿を見せなければそりゃそうだろう。
バーンズ王もアミット氏もそこをすっ飛ばしてガミガミと否定する。
親父には関係ないだろ!!と思われてしまうのも当然だ。自分の都合を押し付けるなよという気にもなる。
言い方って大事なんだと諭される。ああ、自分の身勝手な行動で、心配をさせてしまっていたと、ゆっくりとかみしめる時間をくれる。
そして意思確認。お互い血が上った状態では、売り言葉に買い言葉。冷静な判断もできなくなるだろう。
重要な決断をするときは、何より冷静でいなければいけない。ボルカノはその猶予を与えてくれる。自分のやりたいことは本当にやりたいことなのか。単なる現実逃避ではないのか?友達がやっているからと流されているだけではないのか?それは本当に自分の確固たる意志か?
冷静に下った決断が覆ることはない。
それに反対するのはもう親のエゴでしかない。親のエゴで子供を引き留めることをしてはいけない。そうすれば、しこりが残るだろう。
親の反対を無理に押し通しそのまま旅を続けるよりも、親の了承を得て送り出してくれる方が双方が気持ちがいい。
これは別に、主人公が女でも似たようなことを言ったのではないだろうか。
女だから好きに生きてはいけないだなんてことを、ボルカノが言うとは思えない。息子が娘だったとしても、確固たる意志でやりたいことを提示すれば、認めてくれるだろう。
好きなように生きるというのは案外難しい。気が付いたら色々な制約の中で生きている。そんな制約なんてものは気にせずに生きろ、という実はけっこう難しいことをボルカノは言ってきているわけでもある。
この言葉が何よりも大事な事だろう。
自分がやろうとしていることは危険な事であり、親として出来る事ならば止めたい。だが我が子がやると決めた事なのだから、もう口出しはしないとこちらも腹をくくった。
そのうえでもし、やっぱりやめる、などと言うのは言語道断だ。やるからには満足いくまでやれ、人に心配をかけるくらいなら中途半端にやるな。
何かを始めるというのは、責任を持つことなのだろう。その責任を持てないくらいならやめておけ。責任を持てるなら、最後まで立派にやり通してみろ。
当たり前のようだが、これを夢を追う子供に気づかせることはできない。ボルカノは父親の中の父親だ。
もし子供が途方もないような夢を追いかけようとしていたら、反対するにせよ賛成するにせよ話し合った方がいい。そして、やるからには半端なところで投げだすなと声をかけてあげるべきだ。子供がかわいいならなおのことだ。
(文・やなぎアキ)
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