好きな人とハグをすることは、脳内でドーパミンとオキシトシンが分泌され幸福であると感じリラックスすることができるという、非常に有効なストレス解消法である。
しかしそんな科学的な話は置いておいても、ハグ、すなわち抱きしめるという行為は、愛していると言葉にするよりもよっぽど気持ちを伝える事のできる手段だ。
心を持ったキラーマシン
キラーマシンはただ目の前の敵を倒すだけの存在だ。
一体どういう経緯があって彼らが生まれたのか、詳しいことはわからない。ただ一つわかるのは、彼らは心を持たないという事だ。
花を見て美しいと思う心、川のきらめく流れのように澄んでいく心……彼らにはそれがない。命というものがないのだ。
しかし、何十、何百といるキラーマシンの中でただ一体だけでも、なんらかのシステムエラーにより、もしも、命が、心が芽生えたら?
そうして生まれた心を持つキラーマシンは、孤独というものを知り、その寂しさを埋めるために私たちと心を通わせていくのだろう。もしかしたら、一人の少女と恋に落ちるかもしれない。
心を知ったばかりのキラーマシンと、偏見を持たない純粋な少女の淡い恋模様は、周りの人々の冷たい眼差しを物ともせずに展開されていくだろう。
少女はその穢れを知らないか弱い全身で彼を精一杯抱きしめるだろう。だがキラーマシンである彼が彼女を抱きしめ返す事は出来ない。
キラーマシンは人を抱きしめられるようには作られていない。その腕は敵を倒すためにしか機能しない。もし彼女の気持ちに応えるように抱擁を返せば、たちまち彼自身の手をもってして彼女を傷つけてしまうだろう。
心を持ったキラーマシンは、次第に少女以外の人とも交流を深めていく。しかし全身が武器である彼は、友人と握手を交わすことさえできない。散歩中の犬をなでる事もできなければ、ジャングルジムから落ちそうな少年を受け止めてあげる事もできない。
もし誰かが自身のせいで傷つくことになれば、もう二度と人々は彼に近づくことはないだろう。少女は恐怖のあまり、その眼差しを彼に向けることはなくなるだろう。
友情や愛を人と育もうとすればするほど、キラーマシンは人から、私たちから離れていかなければいけないのだ。
心を持ち、孤独を知り、少女との愛を知ってしまった彼は、だからこそ、人と離れ、キラーマシンの群れに戻ることもできず、寂しく人里離れたところに還っていくのかもしれない。誰も傷つけないためにはそうするしかないのだ。
心を持ったキラーマシンのことは次第に人々の記憶から薄れ、以前と同じように、怯える暮らしが始まる。少女の話など誰も信じず、ただの妄想だと一笑に付される。
やがて少女が年老いて、心を持った不思議な機械仕掛けの人形の話を自分の孫に聞かせる時、
山奥の一体のキラーマシンが
怪我をした小鳥を
錆付いてしまった剣で
そっと巣に戻してあげているかもしれない。
ティム・バートン監督の映画、シザーハンズはとっても面白い。
(文:やなぎアキ)
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