ナポレオンの首席画家として、幾枚ものナポレオンに関する名画を残した悲運の天才画家・ジャック=ルイ・ダヴィッド。
バスティーユ牢獄襲撃事件に加わり、画家でありながら国民議会議員になると、国民公会議長まで務めた人間だ。
ロベスピエール失脚とともに投獄されるものの、新たに覇権を握ったナポレオンと意気投合し、彼はそこで重用される。しかしそのナポレオンが失脚したタイミングで再度行き場を失い、亡命先でその波乱万丈な生涯に幕を閉じた──。
まさに激動の時代を生き抜いた画家である。
ベルナール峠からアルプスを越えるボナパルト(フランス語原題:Bonaparte franchissant le Grand-Saint-Bernard)は、彼の代表作ともいえる名作である。ナポレオンが立ち上がった荒馬を冷静に御しながら手を掲げている、あの有名な一枚だ。ナポレオンといえばあの絵を連想する人も多いだろう。
「アルプス越え」などとも呼ばれ、切手や絵葉書をはじめ様々なところで目にする、今もなお多くの人々に愛される肖像画である。
紀元前の第二次ポエニ戦争を象徴する「ハンニバルのアルプス越え」、5度に及ぶ「カール大帝のアルプス越え」などに続く偉業として、ナポレオンの「アルプス越え」は描かれた。
しかしこの作品は、実際にはなかったシーンを描いている。
「アルプス越え」は肖像画でありながら、写実的要素よりも重視すべきポイントがあったのである。
それが「政治的要素」だ。
戦争中のプロパガンダとして、フランスの指導者の英雄性を高めることを意図されたのが、あの荒々しい馬であり、容姿端麗なナポレオンであった。象徴的行為であるアルプス越えが選ばれたのも、そのためであろう。先頭を勇ましく歩む、偉大なる指導者──ナポレオンが自国民に広めたいイメージを反映するものだった。
実際のナポレオンによる「アルプス越え」は、軍隊とは別日程で行われたとされている。ラバに乗り、ガイドに案内されながら、だ。決してあのようなドラマティックな形式ではなかった。
馬の大きさやナポレオンの背格好をデフォルメし、こうあって欲しいという姿を広める──例え真実と乖離していたとしても、フランス国民がその絵にカリスマを感じとり、あの快進撃に繋がっていったという結果には変わりない。
「本当のナポレオンは短足だった」という真偽が定かではない逸話も残っているが……まぁ、馬に乗ってしまえば、そんなのは些細な事だ。
それよりも、絵やデザインというものは時に「理想を具現化する」道具・手法として使われる事があるのだ、ということを改めて実感するエピソードだろう。絵は、美しいものを我々には届けてくれるのだ。
それはドラクエのモンスターたちにも言える事なのかもしれない。
ゴーレムのレンガはもっと不揃いかもしれないし、キラーマシンは錆や擦り傷があってもおかしくない。
しかし彼らは、美しい姿で勇者の前に姿を現わす。
敵であっても「こうであって欲しい」という、秩序ある美しさをもって。
さぁ、いよいよ紹介しよう。
美しきモンスター「しにがみきぞく」を。
……はれ?
はれれぇ〜?
短足!短足!
えぇっ!?馬上でもわかるほど短足ゥ!
この貴族、短足ぞ!!!
しにがみきぞく
「えへへ〜バレちゃった?じゃあ跳んじゃうよ!あ、そーれ!」
ぴょ〜〜〜ん!!!
ひゃあああああ〜〜〜短足!短足!
跳んだら尚更わかる!この貴族、短足ゥ!
しにがみきぞく「えへへ〜びっくりした?ほれ、もういっちょ!」
ぴょ〜〜〜〜〜ん!
本日の豆知識。
ナポレオン・ボナパルトの本名はナポレオーネ・ディ・ブオナパルテ。イタリア風の名前からフランス風の名前に改名している。
ブオナパルテ家の先祖は中部イタリアのトスカーナ州に起源を持つ、古い血統貴族である。
(文:OGTキシン)
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